わたしは歴史が好きで、古い建物や史跡が多く残る長野の景観が大好きです。
今回は、武田氏にゆかりがある長野市松代町をご紹介します。
歴史
松代は、武田信玄と上杉謙信による川中島の合戦の舞台となりました。
松代城は武田側の拠点として築城したと言われています。
何度もこの地で激戦が繰り広げられましたが、勝敗はつかなかったそうです。
江戸時代に入ってからは、松代藩の情勢が一向に安定しなかったため、
上田藩から真田信之がやってきました。
※信之は、真田十勇士で知られる真田幸村の兄です。
信之の功績もあり、真田十万石の城下町として松代は繁栄しました。
江戸時代から明治時代にかけては、長野町(現在の長野駅周辺)よりも栄えていたと言われています。
その後は、明治期の廃藩置県により松代県となりますが、すぐに長野県に編入され、
ほとんどの行政機能が長野に設置されたため、松代は次第に衰退してきます。
長らく石垣が残るだけの姿となった松代城ですが、
2004年の長野市の環境整備工事により、櫓門・木橋・石垣・土塁・堀が復元され、
4月中旬から下旬にかけては桜の名所として多くの観光客で賑わいます。
もう一つ松代といえば、松代大本営が有名です。
太平洋戦争の真っ只中に、東京は防衛機能が低いと考えられたため、国の中枢機能を松代に移転する計画が立てられました。
実際に象山、舞鶴山、皆神山3箇所に松代大本営の地下坑道が造られ、いまも残されています。
ちなみに国の中枢機能とは、政府、日本放送協会、中央電話局、天皇御座所、皇后御座所、宮内庁です。
本当に移転されていたら、戦後は松代が日本の中心になっていたかもしれないですね。
余談ですが、移転に松代が選ばれた理由が6つあります。
1.本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場
2.固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。
3.山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
4.長野県は労働力が豊か。
5.長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
6.信州は神州に通じ、品格もある。
長野県民の信頼の厚さが伺える理由ですね!
インフォメーション
住所 | 長野県長野市松代町松代10 |
電話番号 | 026−278−2801(真田宝物館) |
開館時間 | 9:00~17:00(最終入場16:30) |
定休日 | 原則無休 |
入場料 | 無料 |
駐車場 | 多数あり |
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松代城とその周辺の写真

復元された石垣・太鼓門と太鼓門前橋です。
松代城の本丸南側の大手に位置する門です。

こちらは、太鼓門前橋を渡りきったところから撮影しました。

太鼓門を入ってすぐのところにある「海津城城址之碑」。
松代城は真田信之が入城するまでは、海津城と呼ばれていました。

本丸跡は広々としています。
桜や松の木がいい雰囲気を出しています。
4月中旬頃の桜が見頃の時期にも来てみたいです。

戌亥隅櫓といういまは展望台になっているところから撮影した太鼓門です。
奥に見える病院の建物とのギャップがいいですね。

太鼓門の反対側の景色です。
晴れていれば絶景のはずです。

戌亥隅櫓からは、北アルプスや戸隠山を見ることもできたそうです。

写真には写っていませんが、二の丸のあたりは、
芝生が整備され広々としています。
真田邸

真田邸は信之の時代からは遠く離れ、1864年に幸教が義理の母の住まいとして建築され、
明治以降は真田家の私宅になりました。
1966年に真田家の家宝とともに長野市に譲渡され、今日に至ります。
建物や庭園がほぼ当時のまま残されており、国の史跡にも指定されています。

今回ご紹介できたのは、松代の街のほんの一部です。
象山の近くにある竹山通りというところには、多くの土塀が保存・復元されています。
とても雰囲気のある街並みなので、ぜひゆっくりと散策をしてみてください。